こんにちは!!
トリニティ・コンサルタンツの土井です。
最近趣味に走った内容ばかりだったので、
少し真面目なお話をしてみようと思います
今回は
保険の歴史について少しお話しを。。。
(参考・引用 はじめて学ぶ損害保険 大谷孝一・中西哲・平澤敦/有斐閣ブックス)
保険の起源を遡ると、時は紀元前1750年ごろまで遡り・・
ご存知「
目には目で、歯には歯で」で有名なハンムラビ法典です。
この中に、当時のキャラバン隊が盗賊に襲われ物資を略奪された際に、
その損害を融資者が負担するという規定があったそうです。
※ちなみに岡山オリエント美術館にレプリカがあります!!
これが保険のルーツの一つとも言われているようですが、
今で言う損害保険や生命保険のルーツは「海上保険」にあるというのが定説です。
海上貿易が活発になるにつれ、商人は海賊や荒海といった様々な海難に
対処する必要がありました。中でも地中海で“
危険分担の仕組み”が誕生し、
これが海上保険へ段階的に変化していったと言われています。
これは保険というより金銭の消費賃借の一種で、船主や荷主が借り手となって
船貨を担保に貸し手の金融業者から多額の金銭を借り受け、航海が無事に終われば
多額の利子をつけて借金を返済するが、航海の途中で海難に遭い船貨を失えば
借り手は借りた金額の返済が不要という仕組みで、
融資と
危険負担という
二つの機能をもっていたものです。
この危険分担の仕組みは地中海沿岸に普及し広く利用されるようになったのですが
13世紀中ごろになると当時大きな力を持っていた教会は徴利を罪悪視するように
なっていました。そこで「徴利禁止令」が発布されてしまい、この仕組みはこれに抵触
してしまい実質的に禁止されることになってしまいました。
※ハーメルンの笛吹の元ネタになったともいわれる少年十字軍の時代です
そこで海を渡る商人たちはこの仕組み以外で航海の失敗に対する経済的負担を
肩代わりしてもらう方法を考えなければなりませんでした。
貸し手の金融業者はこの仕組みで高利を得ることが出来ていましたが
借り手の中には航海が無事に終了しても海難に遭ったと偽って返済しないものも
増えていったそうです。
また貿易により富を蓄えても、一度海難に遭うと築き上げた富が瞬時に失われる危険も
ありました。このような背景からこの仕組みから
危険負担の機能のみを取り出したものが
海上保険になるのです。
今回はここまで
次回も少しずつ保険の歴史を紐解いていきたいと思います。
トリニティ・コンサルタンツの土井でした。